リハビリへの幻想
今日、シティライフというミニコミ誌に載ってた記事。
リハビリへの幻想を捨てたとき 生活者としての幸せが始まる
というタイトル
理学療法士の三好春樹さんという方がお話されています。
私(えふ)の母は、12年前に脳梗塞で一回目は軽く済んだんだけど、
3ヵ月後の発作は、病院へ行くまでの時間が長すぎて、
とてもひどいことになりました。
死んでいてもおかしくないくらい(主治医談) の状態だったのです。
はじめの頃は、ボケてしまったかと思うくらい頭の具合もおかしかったのですが、それを乗り越え、リハビリが始まると、母持ち前のがんばりで驚異的な回復を見せました。
私は毎日、母のがんばる姿を見ているだけでしたが、
ただ仰向けに横たわっているだけの体を 自力で横向きにできたときは、見ている私も感激でした。
そして、ベッドに起き上がりそれから、ベッドサイドに座り・・・と続いていったのですが、母の望みは、歩けるようになること!!
だけど、麻痺してしまった左足は、力を入れることが出来なくて、歩くというのは、左足だけで一瞬でも立てなくてはならないのに、それが出来ませんでした。
でも、平行棒を使っての歩く練習・・・がんばっていましたが、今の医療の保険制度、半年経ったら、もうあきらめなさい とばかりにリハビリの回数がうんと減ってしまいました。
ずいぶん長い間、母も私も、歩けるようになって!! というのが、一番の望みだったけれど、今日この三好さんの記事を読んで、もっと違う考え方してもよかったんだ・・・とつくづく思いました。
母は、施設にいるときも、デイサービスに行ってるときも、それなりに楽しんでいたみたいです。
施設にいるとき私の訪問が、ちょうどゲームの時間にあたったら、それが終わるまでそばでじっと見ていました。母の楽しみの時間でしたから。
年老いてからの12年もの車椅子生活・・・・どうしても 可哀想という思いが先になるのだけど、もしかして、そうじゃなかったのかも。
いいえ、可哀想という思い方は、間違ってるのかも と・・・・
リハビリへの幻想を捨てたとき 生活者としての幸せが始まる
というタイトル
理学療法士の三好春樹さんという方がお話されています。
私(えふ)の母は、12年前に脳梗塞で一回目は軽く済んだんだけど、
3ヵ月後の発作は、病院へ行くまでの時間が長すぎて、
とてもひどいことになりました。
死んでいてもおかしくないくらい(主治医談) の状態だったのです。
はじめの頃は、ボケてしまったかと思うくらい頭の具合もおかしかったのですが、それを乗り越え、リハビリが始まると、母持ち前のがんばりで驚異的な回復を見せました。
私は毎日、母のがんばる姿を見ているだけでしたが、
ただ仰向けに横たわっているだけの体を 自力で横向きにできたときは、見ている私も感激でした。
そして、ベッドに起き上がりそれから、ベッドサイドに座り・・・と続いていったのですが、母の望みは、歩けるようになること!!
だけど、麻痺してしまった左足は、力を入れることが出来なくて、歩くというのは、左足だけで一瞬でも立てなくてはならないのに、それが出来ませんでした。
でも、平行棒を使っての歩く練習・・・がんばっていましたが、今の医療の保険制度、半年経ったら、もうあきらめなさい とばかりにリハビリの回数がうんと減ってしまいました。
ずいぶん長い間、母も私も、歩けるようになって!! というのが、一番の望みだったけれど、今日この三好さんの記事を読んで、もっと違う考え方してもよかったんだ・・・とつくづく思いました。
母は、施設にいるときも、デイサービスに行ってるときも、それなりに楽しんでいたみたいです。
施設にいるとき私の訪問が、ちょうどゲームの時間にあたったら、それが終わるまでそばでじっと見ていました。母の楽しみの時間でしたから。
年老いてからの12年もの車椅子生活・・・・どうしても 可哀想という思いが先になるのだけど、もしかして、そうじゃなかったのかも。
いいえ、可哀想という思い方は、間違ってるのかも と・・・・
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