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百か日

13日がほんとの百か日なんだけど、
今日お寺さんがお参りに来てくださるようになっているというので
パパちんとその時間合わせて出かけた。
弟の家族と私とパパちんだけの
ひっそりとした法要だった。
母のこと、いい思い出ばかりになるには
100日では足りません・・・・
弟家族も苦労が多かったので。

でも、おかあちゃん、
私はおかあちゃんにしてもらったこと
感謝することいっぱい思い出してるよ。
もう思い出しても、数えても、
ほんとにきりがないくらいのたくさんのことを!
弟もきっとそうなんだと思う。

夜は、息子夫婦と一緒に食事。
パパちんの好きな水炊き
ふたりで食べるのと違って、具材の種類も量もたくさんだし、
おしゃべりもたくさんだし、
大勢で鍋を囲むのって、今さらながら楽しいなって思う。

そしてトランのママのアメリカ帰りのすずちゃん
アメリカのお土産を持って来てくれた。
わざわざありがとでしたぁ〜
とっても楽しかったんだって!!
それにしても、この前すずちゃんに会ったのはいつだったんだろう。
ほんとに久しぶりの再開だったよ。
相変わらず元気いっぱいのすずちゃんでした。

| 母のこと | 23:17 | comments(2) | trackbacks(0) | TOP↑

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母の夢

昨夜、妹と電話で話してたら、
前の晩、母の夢を見たと言う。
私も見てるのかもしれないけれど、
覚えていない。
覚えているのは、一度だけ。

昨日寝るとき、
母が買ったまま一度も着ていなかったTシャツを来て寝ることにした。
うまくいけば、母が夢に出てくるかも・・・って思いながら。

朝、目を覚ます前に夢を見た。
母は寝ていた、布団を着て。
私は夢の中だと気づいていた。
なぜか、布団の中、母は上半身だけだった。
母にやっと来てくれたんやね と言った。
少ししんどそうだったので、今でもしんどいときあるのん?
ってたずねたら、母は頷いた。
母に抱きついたら、すごくうれしそうな顔をした。

その後、母と手をつないで外の広いところを走っていた。
と、木の茂みにつないだ手がひっかかって、
つないだ手が離れ、母は茂みの向こうに消えて見えなくなった。
私は、大きな声であちらこちらに向かって何度も
オカーチャーーーーン と呼んでみていた。

来週百か日です。
百か日からは、もう泣いてはいけないそうです。

ぴあの
CIMG3825.jpg

昨日よりももう少し食べてくれてます。
夜は、ささみの湯がいたのを4分の1本食べました。

ミーユ
CIMG3828w.jpg

これはなんですか?
そうです、栗のイガです。
中にあった栗は、盗み食っちゃいました!!
それで、イガを咥えて、うれしそうに私のところへ来るんだけど、
それは遠慮してください。
それは、立派に家庭内暴力です!

| 母のこと | 23:13 | comments(4) | trackbacks(0) | TOP↑

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母は、天使に

今日は、久しぶりのお友達が来訪。
お母さんが亡くなられたから、って花束を!
CIMG3637.jpg

まだまだ若くて元気だった昔の母を知ってくれているこの友達。
この花束は、そう、母のイメージです。
そして、
CIMG3647.jpg

このブーケの中には、天使がいました!!
母を見守ってくれている天使でしょうか?
それとも、母が天使になったのでしょうか。。。

| 母のこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

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母親への想い

母がいなくなって、今日でちょうど一ヶ月。
これまで、いろんな人に会ったり電話がかかってきたりしたときに、
母が亡くなってね・・・と報告すると、
お母さんを亡くした人たちは、みんなそれぞれお母さんへの想いを語ってくれる。
その想いは、ほとんどみんな一緒。
お母さんからは、いっぱいのことを教えてもらったから、
何をしててもお母さんを思い出す、いつまでたっても。
そして、亡くなってから、日が経つほど悲しくなるというのです。
無性に会いたいって。
今日電話で話した人も、私よりずっと年配の・・・もしかして、私の母の年齢に近いかもしれないのだけど、それでも、いまだにお母ちゃん!!って思うことがあるよって、言ってた。

わたしは、まだ、一ヶ月・・・・今までも一ヶ月会わないときもたまにはあったもの、だからまだ、母のいた施設に行くと会えるんじゃないかと・・・母はまだあそこで、車椅子に座って、テレビを見ているんじゃないかという気がする。
いつものように、後ろから覗き込んで、“おかあちゃん” ってそっと声をかけると、私を見て、ほわっと笑ってくれるんじゃないかと思う。
あんた、忙しかったん? って言うだろうか。
わたしがしばらくぶりに行ったときに、そう言ってたように。

母は、施設から救急車で病院へ運ばれた。
救急車の中での様子を知りたくて、消防署に電話をかけて、そう言ったら、今は情報開示請求をしなくてはならないといわれた。
今日やっと、その救急活動記録票というのをいただけた。
・・・・詳しく書かれている。
わたしには、読んでいても、まだ、生々しくてつらいのだけど。

施設のスタッフや看護師さんの話、救急車の記録、救急病院での死亡確認・・・・ぼんやりしていてわからない、施設側の話は・・・
ただ、母はもういない とうことだけが、はっきりとした事実。

| 母のこと | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | TOP↑

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リハビリへの幻想

今日、シティライフというミニコミ誌に載ってた記事。
リハビリへの幻想を捨てたとき 生活者としての幸せが始まる
というタイトル
理学療法士の三好春樹さんという方がお話されています。

私(えふ)の母は、12年前に脳梗塞で一回目は軽く済んだんだけど、
3ヵ月後の発作は、病院へ行くまでの時間が長すぎて、
とてもひどいことになりました。
死んでいてもおかしくないくらい(主治医談) の状態だったのです。
はじめの頃は、ボケてしまったかと思うくらい頭の具合もおかしかったのですが、それを乗り越え、リハビリが始まると、母持ち前のがんばりで驚異的な回復を見せました。
私は毎日、母のがんばる姿を見ているだけでしたが、
ただ仰向けに横たわっているだけの体を 自力で横向きにできたときは、見ている私も感激でした。
そして、ベッドに起き上がりそれから、ベッドサイドに座り・・・と続いていったのですが、母の望みは、歩けるようになること!!
だけど、麻痺してしまった左足は、力を入れることが出来なくて、歩くというのは、左足だけで一瞬でも立てなくてはならないのに、それが出来ませんでした。
でも、平行棒を使っての歩く練習・・・がんばっていましたが、今の医療の保険制度、半年経ったら、もうあきらめなさい とばかりにリハビリの回数がうんと減ってしまいました。

ずいぶん長い間、母も私も、歩けるようになって!! というのが、一番の望みだったけれど、今日この三好さんの記事を読んで、もっと違う考え方してもよかったんだ・・・とつくづく思いました。
母は、施設にいるときも、デイサービスに行ってるときも、それなりに楽しんでいたみたいです。
施設にいるとき私の訪問が、ちょうどゲームの時間にあたったら、それが終わるまでそばでじっと見ていました。母の楽しみの時間でしたから。

年老いてからの12年もの車椅子生活・・・・どうしても 可哀想という思いが先になるのだけど、もしかして、そうじゃなかったのかも。
いいえ、可哀想という思い方は、間違ってるのかも と・・・・

| 母のこと | 20:38 | comments(2) | trackbacks(0) | TOP↑

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